「今後――」
俺はオム焼きソバを食べるのに使った箸をゆっくり御盆の上に置き、コップに入っている冷水を一口飲んだ。
「それは……、響子の未来を変えるって言うミッションか」
「無論だ」
ヤークも箸を御盆に置く。
小馬鹿な態度を見せるこの天界人が、真剣な表情を見せるから、俺も緊張の糸が張り詰める。俺だって真剣だ。彼女達を死なせない為に。そう考えると、だんだんと顔も強張ってきた。
「状況を整理しよう。……まず、この時代は、安藤圭吾19歳で大学二年生、響子18歳の大学一年生の時だ。これから、約6年後に――響子は殺される。娘の真波もな」
ドックンと、嫌な心臓の音がする。死んだ響子と真波の顔が浮かんできた。――最悪の未来であり、俺が体験した現実。
「……ああ。あの和同勝也にな」
自分でも、俺の声色が怖ろしく低くなったのが気付いた。きっと、形相も酷いだろう。奴だけは、一生許す事が出来ない。
ヤークは、頷いた後、
「その通りだ。和同勝也は、確か三十歳で、現在は、二十四歳」
「そうか。で、ヤークに訊きたい事がある」
俺は右の掌をギリギリと握り絞めた。
「和同勝也はどうして響子を殺した?」
――奴は、響子と真波を殺した後、自決したクソ野郎だ。だから、真相は分からない。こんな事をしておいて説明無しに勝手に死にやがった。その事も俺は随分苦しんでいる。理由を訊く権利はある筈だ。
だが、
「残念ながら、私にもそれは分からない」
ヤークの言葉に、「は?」と訊き返した。
「天界人だろ? 天から俺達地上人の事を見下ろしているんだろ? どうして」
俺の追求にヤークは、腕を組む。
「私は、あくまでも、安藤圭吾の担当天界人だ。それ以外の者達の生活は知らない」
「どういう事だ?」
「つまり、私は、安藤圭吾が見て、感じて、出会った事しか見る事が出来ないのだ。他の者達――例えば、響子の事も、安藤圭吾が、バイトでしか見ていなければ、バイトでしか私も見れない」
ようやくそこで俺は理解出来た。
「じゃあ、和同勝也については、俺が知っている事しか知らないって事か? 俺は、和同勝也となんて、人生で五、六回――しかも、響子のバイト帰りの待ち合わせに、一瞬見た程度だぞ」
「そうだな。安藤圭吾は、実際には、和同勝也に対面したのは七回で、話した事は一度もない。それは私が見下ろしているから知っている」
「なんだよ。そこまで細かく俺の動向は知っているのに」
ちょっと、俺はがっくりしと肩を落とした。――しかし、これは予想外だ。天界人とはいえども、全知全能という訳ではないという事か。
俺はここでハッとする。
「いや、待て。ヤークは、確か、俺をこの大学二年の6年前に戻す為に、何十億人も記憶を改竄していったんだろ? 和同勝也については、何か記憶を探る事が出来なかったのか?」
「――なるほど。確かに私は、安藤圭吾を過去に戻す為に、人々の記憶の改竄を繰り返した。後に未来へ戻る時のタイムパラドックス――、時の矛盾を最小限にする為にな。無論、和同勝也の記憶も改竄した。……ただ」
「ただ?」
「先ほども、安藤圭吾が言った通り、何十億人規模の記憶と時空を曲げている。――それは物凄い作業なのだ」
「――だろうな。想像するだけでも、疲れてくるよ」
「その作業量は、天界人とはいえでも、容量を超えてしまうものだ。――私は一度、確実に和同勝也の記憶を見て、記憶をいじったが、その記憶を保管する事が出来なかった。数十億の人間の一人を覚えきる事が出来なかった」
「じゃあ、思い出せないって事か? 和同勝也が響子を殺した理由を――」
「そういう事になりそうだ」
なんだよ。と、文句を言いそうになったが、グッと堪えた。が、顔には出てしまった様で。
「すまないな。和同勝也が重要な事なのは、知っていたが、何分、ギリギリの作業だった故、とにかく安藤圭吾を過去に戻すのを最優先したのだ」
はじめて、ヤークが謝罪したので、俺は少し驚いた。
「いや、それに関しては感謝しているよ――ホント」
ちょっと照れくさくなって、俺は誤魔化す様に頭を掻いた。
「代わりに、私も地上界に降りて、安藤圭吾と一緒に未来を変える行動をすればいいと思った。そっちの方が安藤圭吾の手助けになると思ってな」
俺は、頭の後ろで腕を組んで、「お前が地上に来たのはそういう事かー」と背筋を伸ばした。
「んで、ヤーク。俺達は、具体的にどうすればいいんだ? 響子と、真波が殺される未来を回避する為には? ――和同勝也を殺せばいいのか」
「――それはなしだ」
「それが手っ取り早いだろ」
「落ち着け。恨む気持ちちは分かるが、そんな事をしたって、お前がただ、殺人容疑で逮捕され、刑務所に過ごすという未来になるだけだ」
「――冗談だよ」
「冗談には、見えぬ顔だがな」
当たり前だろ。俺は、なんでもするつもりだ。……なんでも。
「あまり早まった真似をするなよ、安藤圭吾。今の響子は、和同勝也と付き合っているのだ。ヘタに彼女の評価を下げる様な事をすれば今後どんな未来になってしまうのか――」
「未来が変わってしまうのか?」
「ああ。――響子とは付き合えず、結婚すら出来ないという未来になる可能性だってあるぞ」
はあっ? と、俺は机をバンッと叩いた。――冗談じゃない
俺は少しカチンときた。
「だいたいなんでお前は、俺をこの時代にタイムスリップさせたんだよっ!」
和同勝也の憎しみを、そのままヤークに乗せた様な怒気をぶつけてしまった。
「そもそもこの時代の俺は、響子を好きになって――、でも、響子には、和同勝也という彼氏がいて……っていう、辛い片想いの時代なんだよ。それをなんでこのタイミングでまた味わんなといけないんだよっ!」
響子と真波が殺されたという未来を経験した後である。余計に辛い。
「それに関しては――、私の天界側の都合があるのだ」
ヤークは、そう言って苦々しい顔を見せた。何か深い事情がありそうだった。
「都合だと?」
「……私は今、他の天界人に追われている身だ」
「え」
「史上最悪の天界人。それが私の貼られたレッテルだ。当然、地上界の秩序を保つ為に、私を止めようと、天界は躍起になっているのだ」
「天界人達が……」
「私は、安藤圭吾を過去に戻すと決めた時、『いつ』にするか迷った。――和同勝也が、響子達を殺す『直前』にしようかとも思ったが、それをしても、安藤圭吾が和同勝也に殺される可能性もあった」
「なんだと? 俺が奴に――?」
「だってそうだろう。安藤圭吾は喧嘩は強いか? 刃物を持った殺人鬼を制圧する事が出来るか?」
「――確かに、それは厳しいけど……」
悔しいが、事実だ。俺は格闘技経験者でも無ければ、武器を持った相手の護身の術を知っている訳でもない。
「でも、ある程度、準備すれば――。例えば、お前が数時間前とかに戻してくれれば、武器でもなんでも、揃えて、闘ってやる事も出来た筈だぞ」
やるときゃやるぜ、俺は。と、決意を見せたが、ヤークは、「そうじゃない」と言う。
「勿論、そういう選択肢もあった。確かに、殺人鬼と対面するから危険は伴うが、それでも、一家の大黒柱としてお前が響子を守るという事も出来た可能性もあった。――だか、そうじゃない。問題なのは、天界人の邪魔なのだ」
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