昼休みの時間になり、俺とヤークは大学内にある食堂へと向かった。
大学時代の俺は、基本的に料理をしなかった。コンビニか、食堂のいずれかだった。一時期、料理男子なり、モテようと企んだが、長続きはしなかった。
食材の買い出しの準備。そして、切って、焼いて、茹でて、炊いて、皿に盛り付けて、食べて、洗って、片付けて――。それを、一日に三回やるという作業をやるよりかは、店に行った方がいいと気付くのに二週間も掛からなかった。てか、よく二週間も持ったよ、うん。
食堂に到着すると、お昼時という事もあってか、人がごった返していた。食券機の前には長蛇の列が並んでいて、俺とヤークは最後尾に行った。
この並びを待つ時間ってめんどくさかったなー。と、思いながら、俺は後ろにいるヤークに目を送った。
ヤークは、この人混みにうんざりする訳でもなく、ただ、ボーっと周りを眺めていた。俺には少し物珍しそうにしている様に見えた。
天界という世界で、地上界――、つまり、俺がここにいる世界を見下ろして観察するのが、天界人というものらしい。
ヤークは俺が生まれた瞬間から、俺の担当になり、今日に至るまで俺の全てを覗いていたというのだ。
だから、俺が四年も通い続けた昼飯の聖地も、ヤークにとっては、何度も見た光景の筈だが、地上人目線から見る、この食堂も新鮮に映るのかも知れないな。
――まあ、あと新鮮といえば……
「ねえ、あの人やばくない……?」
「うんうん、めっちゃかっこいいー」
「ハーフかな? 肌白ーい」
俺の周りにいる女子達の色めく声が飛び交う光景も新鮮だった。
いやー、大学では女の子に全く注目されなかったから、気分がいいやー、ハッハッー!
……無論、その的は俺ではないがな。
「絶対、モデルか芸能人やってるよー。オーラが神々しいもん」
「ウチの大学に芸能人なんていたかな?」
「待って! 私調べてみる!」
嫌だなぁ、目立つイケメンと一緒にいるの。
「おい、安藤圭吾」
ヤークが突然、小声で俺の耳に口を近づけた。
「なんだ?」
「後ろの女――、明美だ」
俺は、え? と、チラッとヤークの更に後ろを見た。そこには、二人組の女の子が腕を組んで立っていて、とてもキラキラうるうるした眼差しをヤークの背中に向けていた。
凄い熱い視線だ。――いや,そんな事はどうでもいい。
その内の一人、胸がデカく、ブラウンカラーのロングヘアに、どことなくキャバ嬢感が漂う女がいた。彼女が明美である。
そうか。今の俺は、大学二年生。って事は、明美は一年生か。
明美というのは、俺が響子で出会う前に――片想いしていた女だ。
実は、出会いを求めるならと、俺はやった事もないのにテニスサークルに所属した。
俗にヤリサーとあだ名されていた通り、そこでは何組もカップルや一晩だけの関係を持つ男女が大量生産されていった。
そんな中、俺が大学二年の時の後輩として入ってきたのが、明美だった。
明美が可愛かった。胸もデカいし、性格も小悪魔っぽくて、目が離れなかった。主に胸から。
すぐに好きになったが、連絡先が交換出来たまでが俺のハイライトだった。
まあ,端的に説明すると、明美は、俺と同学年のイケメンと付き合ったのだ。以上。もうこれ以上何も言うな。特に、俺の痛いメールのやり取りはな。
「『どうして返信がないの? なんかあった?』、『おーい、元気かー?』とか、の追撃メールは、痛い過ぎたな」
ポンと、ヤークは俺の肩を叩いた。
「――お前。見てたならその時に天界から舞い降りて、俺の行動を止めろよなぁ」
胃がキュッとなるような恥ずかしい思い出に、俺はため息をついた。
ちなみに、俺は2年になってからすぐにテニスサークルは行かなくなった。
馬の合う友達も出来ないし、女も出来なし、面倒臭さくなったの理由だが、明美とそのイケメン彼氏がサークル内でイチャイチャするのが見たくなかったのが大きな原因だった。
……ふと、明美と目が合ってしまった。すると、
「こんにちは」
と、言ってきたので、俺は驚いた。
「お、おう」
と、だけ返事して、すぐ前へ向いた。
「おい、ヤーク」
今度は俺がヤークに小声で話す。
「なんだい?」
「明美って俺の事知っているのか?」
「ああ。そうだが」
「――なんだよ。明美こそ、俺の記憶から抹消したい思い出なのに」
「まあまあ。恋愛経験不足の安藤圭吾にとって、明美アタックの記憶は必要だと判断してな」
……確かに、その後、好きになった響子との連絡はあの失敗のお陰で紳士的に対応出来たが。
「俺は、一年の時にテニスサークルに所属していて、もう辞めてるって事になっているの?」
「ああ。そこは、安藤圭吾の記憶通りだ」
「ふーん」
多分、ヤークのこの微妙な過去の時間と記憶の調整は、この大学二年生の俺が、元の時代に戻った時の違和感を最小限にする為の工作なのだろう。もう、分からないのでこの辺はこいつに任せればいいか。
「あのー、安藤先輩?」
猫のなで声の様な可愛い声がしたので、俺は、思わず振り返った。――明美が俺を呼んだのだ。
「ん?」
すました声で俺は返事をしたが、ちょっと緊張した。
「お久しぶりですね。元気にしてましたか?」
「ん? あ、うん。元気――だよ?」
三日前まで響子と真波を失った悲しみに暮れていたから、正直元気って訳でもなかったが。
「なんで最近、サークル来ないんですかー?」
「ん? あ、うん。ちょっとそのー、バイトが忙しくてな――」
こんな理由でいっか。ヤークがいじったこの世界で、俺がどういう経緯でサークルをやめたかなんて分からないが。
でも、辞めた行かなくなった理由は、殆ど君のせいなんだけどね……。
「ふーん。なんか寂しいなぁ」
明美はちょっと、唇を尖らせて残念そうな顔をする。
え、マジで。明美、実は結構、俺がいなくなったの気にしてたの? マジで?
少し、俺はテンションが上がった。別に今となってはどうでもいいが、なんだかんだ気になっていたのか。
「ところで――」
と、明美は、キョロっと瞳を横にいるヤークに向けた。
「そちらの方は、安藤先輩のお友達ですか?」
手をちょこんとヤークに向けて、キラキラした目で俺に聞いてきた。
「ん? ああ、うん? と、友達ー……。友達ーー、かなぁ?」
首を傾げながら、俺はヤークの方に顔を向けると、
「ああ、こいつとは親友なんだ」
と、また俺の肩をポンと置いて、澄まし顔でそう言った。
こいつが親友ってなんか嫌だな。と、俺の本音は隠しておく。
「へー❤ そうなのですねー❤」
……あ、そういう事ね。
俺は明らかに可愛い女の子になっている明美を見て、察した。ヤークとのとっかかりが欲しかっただけなのね。
「ハーフなのですかぁ?」
「うむ。ロシア人とな」
ロシアじーん! と、明美と隣にいる女の子が顔を合わせて嬉しそう悶えていた。
「え、名前はなんていうのですか?」
「ヤーク・プルシェンコ・弓弦だ」
凄いー、ミドルネームだー! と、また顔を合わせて悶える女子大学生達である。
いや、明らかに偽名だろ。気づけよ! と、俺は若干イラっとしてきた。
その後、彼女達の質問責めに、ヤークが答える形で、食券機までの長蛇の列は消化していった。俺は蚊帳の外だった分、いつもよりも三倍は苦痛に感じた。
そして、ようやく買えそうな位置になった所で、
「うむ、そうだ。先、どうぞ」
と、ヤークは、明美達に列を譲った。
「え? いえいえ、そんないいですよー」
ね? と、明美は友達にも、顔を向けていったが、
「お腹空いているでしょ。レディーファーストはロシアにもある文化だから。な、いいだろ。安藤圭吾」
珍しく優しい顔を明美に向けた後、俺にもそう言った。
「も、もちろん」
まあ、全然列を譲るのは構わないけどね。でも、すげえな、照れずよく出来るよ。
すると、女の子達は、顔を赤くして、
「じゃ、じゃあ……お言葉に甘えて……」
と、ペコペコしながら俺の前で先に食券を選んでいた。そして、購入した後、
「すみません。二人共ありがとうございました!」
頭を下げて、礼を言い、席へ向かっていった。その直前、
「じゃあ、安藤先輩も……また」
ニコッと笑顔を俺に向けて、俺は、また「お、おう」みたいな返事をしたのであった。
あ、ちなみに現在、彼氏がいる筈の明美が、ヤークにこんなちょっかいをかけている簡単な理由がある。
俺も後に知った事なのだが、明美は、二股や、ワンナイトを積極的にする、所謂ビッチだったのだ。
付き合わなくてよかった。――それにしても、あの大学一年にして、様々な男を手玉にしてきた明美をここまで籠絡するとは。と、俺はヤークの顔をチラッと見る。
「完全にメスの顔だったな、安藤圭吾」
「…………そうだな」
ヤークの顔は至ってクールである。ここまで余裕の表情を見せるとちょっとかっこよく見えてきたのが悔しい。
「明美――、ひょっとしたら、お前の連絡先教えて下さいって、俺に言ってきそうだぞ」
「だろうな。最後に安藤圭吾に良い笑顔見せたし。予防線はしっかり張ってたしな」
「――まあ、そんな気がしていたよ」
女の恐ろしいところだ。俺も響子と付き合って、色々と女の裏側の話しを訊いているうちに学んでいったよ。
「昔の安藤圭吾なら勘違いしていただろうなぁー」
と、ヤークは、鞄から財布を取り出した。
「だろうな」
複雑な表情で俺も財布を取り戻した。そして、食券機のメニューはざらっと見る。
「おー! オム焼きそばだ!」
おそらく五百回は食べた、この食堂で断トツに上手い飯。オムレツにライスの代わりに焼きそばを挟んだB級グルメ。
「また食べられるとはなあ」
ちょっぴり感動しながら、俺の680円を入れた。
「よし、私もそれにしよう」
ヤークも、俺の後に続いた。……こいつ、俺のマネばっかりするな。
食券をおばちゃんに渡して、番号札を貰った。料理が出来たらおばちゃんがその番号を叫ぶという古いやり方が、ここのスタイルである。
ふと、俺は、ある疑問が浮かんだ。
「ヤークって腹減るの? 天界人なのに」
「今の私は人間の造形をしているが、別に何も食わなくても生きていけるぞ」
「へー、そうなのか」
「トイレもいかないし、ニキビも毛穴もないし、垢もないぞ」
「は、はあ……」
そこまで聞いてないんだが……。しかし、なんだか、アイドルオタクの夢を具現化した様な人間になっているな。俺から言わせればただの化け物だが。
「とはいえ、何もしないのも暇なのでな。あくまでも嗜好品の感覚で食事は取ろうと思っている」
「なるほどねえ。……あ、そういえば、お前、お金はどっから工面しているんだ。バイトでもしているのか?」
「私はしていないぞ」
「え? そうなの」
「ああ、仕送りだ」
「仕送り――? ああ、モスクワの両親にか。……って、お前の両親ってモスクワにいるの?」
そういうとヤークは、小馬鹿にするように笑った。
「いるわけないぞ。そもそも、親と子というシステムは地上界にしか存在しないからな。モスクワには架空の住所があり、資金も架空のものだ」
そんな事くらい察しろよバカだなー、とでも言いそうなヤークの笑顔である。……腹立つな。
「架空って……。普通に犯罪だろ」
「安藤圭吾を過去に戻す大罪よりかは、随分可愛いと思うがな」
「あ、あざっすー……」
そう言われると頭が上がらない。
「59番ーー! と、60番ーー! オム焼きソバーー!」
受け取り口で轟くおばちゃんの声。相変わらず、でけえ。
俺達は札を渡してオム焼きソバを受け取った。そして、空いている席に座った。
「じゃあ、食うか」
「うむ」
オム焼きソバはデカい。一般で言われるLサイズだ。運動部をしている男でも、充分な量である。
「うまー」
「うむ」
こうして俺達は、昼飯を堪能したのであった。
「さて――」
と、ここで、ヤークが、話を切り始めた。
「今後について話さなきゃいけないな」
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