俺は、その光景にある種のおぞましさを覚えた。街灯の光の加減で顔に陰影が出来ているせいか、まるで、笑顔の下に隠されている、黒い本性がその男に出ている様に見えたせいかもしれない。
「あ、待ってくれたの。ありがとー」
響子は、迷わず彼の元へ行った。
「さぁ、帰ろ」
男は、爽やかな笑顔で、響子に手を差し伸ばした。
……おい、なんだよ。その手。
俺は怒りで震えていた。
「うん!」
だが、響子は俺の気持ちなど知らずに、その男の手を握り返した。
響子……なんで……。なんで、そんな笑顔で手を握れるんだよ。
響子……、君は……、君は……。
「今日、ご飯どっかいく?」
「響子の好きなとこでいいよ」
「やったー! オムライス屋さん行こうよ!」
「うん」
あの男に……殺されるんだぞ?
君だけじゃない。俺達の………命よりも大事な娘の真波も………あいつは、殺したやつなんだぞ。
心臓がド、ド、ド、早くなる。頭が熱くなっていた。
俺の心には今ドス黒い感情が支配し始めた。
そして、
俺は、男と目が合う。
もしくは、俺と響子が一緒に出てきたのが気に食わないなかったのか、少し冷たい目をしている。
その瞬間――
ぶっ殺してやる。
と、俺は、男に殴りかかろうとした。
だが、
「ストーップ」
と、横からヤークが割り込んで俺を止めた。
「ヤーク! 止めるな! 俺は………俺はあいつを絶対に許す訳にいかねえ!」
「分かっている」
「だったら、どけ!」
「今、あいつを……仮に殺したって、お前は実刑判決を食らって終わりだ」
「でも!」
「分かっている。……お前の気持ちは痛い程。でも、今は落ち着くんだ。安藤圭吾!」
ヤークの力は強かった。細身の身体のどこにそんな力が眠っているのか分からなかったが、俺は動きを完全に制圧されてしまった。
――響子と、男が夜の闇に消えていく様に見えた。
そういえば、響子の帰りをあの和同勝也はたまに裏口で待っていた。
俺はあいつを見る度に、何か現実を叩きつけられた様な絶望を覚えながら、手をつないで、二人で歩く背中を見送っていた。
響子との接点がバイトでしかない俺にとっては、このロッカールームから、裏口までの道が、私服の響子、仕事とは違う姿を見せる響子が見られるという、気持ち悪いが、大切な時間でもあり――、苦い思い出でもあった事を俺は思い出した。
あの時と、同じ――。いや、あの時以上の絶望。
愛しい人が、悪魔に攫われる様に。俺は、響子と真波が殺されてから、そんな想像を常にしていた。そんな悪夢が今現実として具象化している様に見える。
悔しくて、歯軋りが鳴る。
遠ざかる愛しい人。悔しくて、辛い。
「クソ……、どうして、……どうして行くんだ。響子……なんで……」
憎しみのまま、俺はヤークの肩を握った。爪がめり込むかのように。ただ、ヤークは顔色も変えず、黙って背中をさすり、
「大丈夫だ。大丈夫だから」
と、優しくも力強い声色で語りかけ続けていた。
悔しさに震える俺の肩を抱えながら、ヤークは、すぐ近くにある小さな公園に向かった。
この公園の奥には、マンションがあり、おそらくその住民の子供達が遊べる様にと、申し訳程度に作った感じだから、遊具は、ブランコと、あの名前は分からないけど、馬とか、像の動物の形をした、バネがビヨン、ビヨンと揺れる乗り物と、ベンチだけだった。
俺達は、ベンチに座った。公園内にある外灯だけが、俺とヤークを照らした。
「落ち着いたか?」
ヤークがそういうも、俺は、
「落ち着くかよ」
と、顔を落としたまま、やや吐き捨てる様に言った。
さっきの光景が頭から離れない。響子と和同勝也の仲睦まじい姿。――反吐が出そうだ。
「……くそ、なんでこんな不快な気分に合わなきゃならないんだ」
すると、ヤークは、
「仕方がないさ」
「あ?」
「今はな――」
と、言う。俺は顔を上げて、ヤークと目を合わせた。
「これから響子と真波を取り戻すのだから。今はしょうがない」
ヤークの目は、挑戦する者が出す色をしている様な気がした。あまりに至って真剣味を帯びているので俺は少し驚いた。
「人の奥さんと娘の名前を気安く呼ぶなよ」
と、ちょっともやっとした本音をそっぽを向きながら呟いた。
「別にいいじゃないか。響子と真波も、俺はお前と全く同じ時間見ていたのだから」
「はぁ!? おま……何言っていんだよ」
「事実だぞ」
「てか、お前は何者なんだ」
俺はようやく、この謎の男の核心に迫る質問をする事が出来たが、
「俺は天界人だ」
と、このヤークからまた意味不明な言葉が飛び出した。
「…………なんだよ、その天界人って」
訝しむ様な目を俺は送った。
「天界人が何か。……それは、お前達、人類に説明するのは難しい。というか、理解する事が出来ないので、ざっくばらんに言うと、君達が空想で信じられている《天使》という存在に近いだろう」
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